さて、最も初期に人類が出会った乳酸菌によって自然発酵し固まるチーズは、ヨーグルトのように組織がもろく、長期保存ができないものでした。しっかりとした組織のチーズを作るには、やはりレンネット(酵素)が必要です。
それでは古代人がレンネットを使いはじめたのはいつ頃でしょうか。
シュメール神話に見られるヒント
ヒントはメソポタミア文明のひとつ、シュメール神話にありました。
金星の女神イナンナの夫ドゥムジは羊飼いで、チーズ作りの名人だった。ドゥムジは山のように 積み上げた「小さなチーズ」と棒の上に置いた「大きなチーズ」を作っていた。
そんな文章が、紀元前3200年くらいの粘土板に楔文字で刻まれています。 この「大きなチーズ」という描写が、レンネットで作られたチーズなのではないかと言われております。乳酸菌で固めたチーズが大きな塊になることは考えにくいからです。 メソポタミア文明は貿易も盛んに行われており、恐らくチーズも商品として取引されたものと思われます。
つまり「大きなチーズ」とは長期保存が可能で、輸出にも耐えられるしっかりとしたチーズ、「小さなチーズ」とはすぐに食べられるフレッシュチーズの類いだったのではないかと考えられるのです。
エジプトにおけるチーズ
エジプトでは第一王朝ホル・アハ王の墓で発見された壷の内容物を分析したところ、どうやらそれがチーズらしいとわかりました。これが紀元前3000年前後。古代エジプトではこのようにして、死者に食べものや飲みものが捧げられていたと伝えられています。
メソポタミアにおけるチーズ
メソポタミア南部(現在のイラク)から出土された紀元前 2500年くらいの鋳型には、牛が飼われ、搾乳している場面や、 底に穴の空いた壷を2人の古代人が持って穴から滴る液体を別の壷に流しこんでいる様子が描かれているものが出土しています。
これはチーズかバター作りを示したものだと考えられます。底に穴の空いた壷には凝固したミルクが入っており、穴からホエイを排出しているのです。
これらの記録から、メソポタミアやエジプトで、チーズ等の乳製品が当時の人々の食べものとして定着していたことが伺えます。 しかしこれらのチーズが乳酸菌によって作られたのか、レンネットによって作られたのかははっきりしません。先ほど出た「大きいチーズ」の記述も、推測の域を出ない点もあります。
レンネットを使用した最初の明らかな証拠は、紀元前16世紀から12世紀までアナトリア半島(現在のトルコ)で栄えたヒッタイト文明からです。
ヒッタイト文明におけるチーズ
紀元前1400年頃、ヒッタイト大王アルヌワンダ一が、属国であるマッドゥワッタがアタルシアに攻められ祖国を追われたとき、マッドゥワッタ一族に避難する場所と生活に必要な物資を与えました。そのときの記録がやはり楔文字で書かれた粘土板に詳しく書かれています。
曰く「ヒッタイト王アルヌワンダは、アタルシアからマッドゥワッタを守り、その一族にトウモロコシとその種、マッドゥワッタにはビールとワイン、麦とパン、レンネットとチーズを存分に与えた」とあります。
チーズの他にレンネットも与えているところが興味深く、ここからレンネットによるチーズ作りの技術が一般に浸透していたことが伺えます。
この他に、ヒッタイト文明が残した粘土板には様々な種類のチーズが出てきます。例によって「大きなチーズ」「小さなチーズ」の他、「新鮮なチーズ」「圧縮したチーズ」「砕けたチーズ」「裂けたチーズ」「こすったチーズ」「年老いた兵士のチーズ」など。
「圧縮」したり「砕け」たりしている様は、レンネットによる強固な組織のチーズを作っていたことを想像させますし、「年老いた兵士のチーズ」は抽象的で意味が明確でないながらも、 熟成させたチーズを兵士が食料として遠征に持参したような光景が浮かんできます。
チーズ最古の長距離輸送記録
イスラエルのアシュドッドで紀元前1200年頃の粘土板が発見され、そこに書いてある楔文字を解読した結果、ヒッタイト人からの積み荷を受け取った受領記録だとわかりました。
これによると、ヒッタイト文明の貿易都市だったシリアのウガリッドからイスラエルのアシュドッドまで、約500キロもの距離を地中海側から船で渡りチーズを運んだことがわかっています。当時からするとかなりの距離となり、これがチーズ初めての長距離貿易記録だと言えます。
このようにして、チーズを凝固させ、熟成させる技術が上がるにつれて輸送距離が長くなっていきました。輸送距離の長さとチーズの大きさは比例します。大きいチーズのほうが長く保存でき、一度に量を運びやすいためです。現在でも都会から遠い山で作られるチーズが大きいのはそのためです。
このようにして、酪農家の人たちは生活のため、チーズを商品として輸送販売の範囲を広げるために、チーズの製造技術を精錬させていきました。
■Lesson4-2 まとめ■
- シュメール神話には「大きなチーズ」「小さなチーズ」という表現が登場する。「大きなチーズ」とは長期保存が可能な輸出にも耐えられるチーズ、「小さなチーズ」はフレッシュチーズの類いだったのではないかと考えられる。
- エジプトでは第一王朝ホル・アハ王の墓で発見された壷の内容物にチーズらしきものが発見されている。
- メソポタミア南部(現在のイラク)から出土された紀元前 2500年の鋳型に描かれているのはチーズかバター作りを示したものだと考えられている。
- レンネットを使用した事が明らかなのは、紀元前16世紀から12世紀までアナトリア半島(現在のトルコ)で栄えたヒッタイト文明である。
- 紀元前1400年頃、ヒッタイト大王の記録にはチーズと共にレンネットが登場し、ここからレンネットによるチーズ作りの技術が一般に浸透していたことが伺える。
- ヒッタイト文明が残した粘土板には「新鮮なチーズ」「圧縮したチーズ」「砕けたチーズ」「裂けたチーズ」「こすったチーズ」「年老いた兵士のチーズ」など様々な種類のチーズが登場する。
- イスラエルのアシュドッドで紀元前1200年頃の粘土板にはチーズ初めての長距離貿易記録が記されている。
- 輸送距離の長さとチーズの大きさは比例する。チーズを凝固させ、熟成させる技術が上がるにつれて輸送距離が長くなっていった。