そうした中でチーズ製造も各地域で独自の発展を遂げ、多くの新しいチーズが生まれました。
中世になると厳しい戒律で知られるベネディクト修道会(6世紀)やそこから派生したシトー修道会(11世紀)がヨーロッパ全土に修道院を建て、更にイギリス、アイルランド等のアングロサクソン圏にも進出し、地元のミルクを使って個性的なチーズを開発していきました。
修道院は石造りの地下室があり、そこがチーズを熟成させる格好の場所となったことも、様々な熟成方法が生み出された背景だったと言えるでしょう。 Lesson4-3で、ギリシャ・ローマでは「やわらかいチーズ(フレッシュチーズ)」と「乾いたチーズ(固 く熟成されたチーズ)」があったと学びましたが、その中間の白カビタイプやウォッシュタイプのような、皮があり熟成されているのに中身がトロリとやわらかいタイプのチーズは、このような環境の中で誕生したと言われています。
これらの修道院で開発されたチーズは現在でも「修道院チーズ」だとか「トラピストチーズ」などと呼ばれています。「トラピスト」というのはフランスのノルマンディー地方のトラップという場所の名前からきた言葉で、有名なシトー修道院があった場所です。シトー修道院はビールの開発でも知られ、「トラピストビール」も有名ですね。
チーズ好きのカール大帝が出逢った新しいタイプのチーズとは
8世紀のガリア(現在のフランス)のカール大帝(シャルルマーニュ)はチーズ好きとして知られ、チーズに関するエピソードが多い人ですが、その中で興味深いエピソードがあります。
帝が旅の途中で地方の司教の家を訪れ、チーズをご馳走になりました。それは豊かな風味のクリームのようにやわらかいチーズで、皮に包まれておりました。帝はナイフで皮を切り取って、中身を食べようとしたところ、司教は「なぜそのようなことをなさるのですか、皇帝陛下。そこは最も美味しいところです」と言い、帝は言われた通りに皮を口に入れてみたところ、「まったくその通り!」と感激し、「毎年わたしのところに馬車二台分、このチーズを送り届けるように」と言ったというお話です。
これはカール大帝と同時代のノートカーという修道士によって書かれたカール大帝の伝記にあるエピソードですが、場所が特定されていないので、どの場所で作られたチーズなのかははっきりわかっていません。ただ皮があり中身が柔らかいという事から、白カビタイプかウォッシュタイプのようなチーズだったと思われます。
このエピソードから、このようなタイプのチーズが当時はまだ珍しかったこと、同時にこのようなタイプのチーズが修道院で開発されていたことがわかります。
このようにして中世を通してチーズは修道院を中心に、ヨーロッパの各地域で創意工夫が重ねら れ、個性的なチーズが多く育ちました。
中世後期の衰退と近代
中世後期はチーズにとってあまり良い時代ではありませんでした。
チーズは健康に良くないという都市伝説が広まり、またチーズは貧しい人たちの食べ物とされ、貴族の食卓にはほとんど並ばなくなり、一時的に発展が止まった時代となりました。
しかし、完全にチーズが消え去ったわけではなく、デザートとして登場することはしばしばあったようです。食通として有名なブリア・サヴァランは その著書『美味礼賛』に「チーズの無いデザートは片目の美女である」と書いています。
フランス革命により貴族社会が滅び、ブルジョワジーが台頭することにより、また徐々にチーズは美食の表舞台に返り咲いてゆきます。
■Lesson4-4 まとめ■
- 中世ヨーロッパにおけるチーズ製造は、キリスト教やその修道院とともに地元のミルクを使って個性的なチーズを開発を行うなど、各地域で独自の発展を遂げ、個性的なチーズの多く育った時代となった。
- 修道院は石造りの地下室があり、チーズを熟成させる格好の場所となった。この時代に白カビタイプやウォッシュタイプのような、皮があり熟成されているのに中身がトロリとやわらかいタイプのチーズも誕生したと言われており、これらの修道院で開発されたチーズは現在でも「修道院チーズ」だとか「トラピストチーズ」などと呼ばれる。
- 8世紀フランスのカール大帝はチーズ好きとして知られ、チーズに関するエピソードが多い。
その中に白カビタイプかウォッシュタイプのようなチーズが登場するものがあり、このタイプのチーズが当時はまだ珍しかったこと、また修道院で開発されていたことがうかがえる。