最後に、東洋にも目を向けてみましょう。
フランスと並んで美食の国とされる中国ではなぜか全くチーズが根付きませんでした。しかしその周辺の国ではモンゴルのホロートや、チベットのチェルビーなど、東洋のチーズと言える食べものが存在します。 これら東洋のチーズに共通しているのは、レンネットではなく、酸や加熱による凝固のみであることです。
そして日本にも「蘇」というチーズがありました。現在では製法は失われていますが、ミルクを煮詰めて固まったタンパク質を集めて乾燥させたものと考えられています。
渡来人が日本にもたらした「蘇」
蘇が日本に入ってきたのは6世紀頃、恐らくインドから大陸を渡り、朝鮮半島を経由してもたらされたのではないかと考えられています。
平安時代の『新撰姓氏録』という、当時の畿内に住む1182氏の出自について記録した古代氏族名鑑があり、これによると6世紀、医学知識・酪農技術に長けた一族が将軍・大伴連狭手彦 (おおとものむらじさてひこ)に同行して日本に帰化しています。彼らは欽明天皇の治世に医局として朝廷に仕えましたが、彼らが日本に持ってきた書物のひとつ『本草書』にミルクや蘇の記載があるのです。
さらに時代が進み7世紀中期、善那使主(ぜんなのおみ)が天皇にミルクを献上して、和薬使主(やまとくすしのおみ)の姓を与えられ、乳長上(ちちおさのかみ)の職に就きました。そ の数十年後に日本全国に蘇の製造所が建てられた事実を鑑みると、この時にミルクと一緒に蘇も献上されたことが考えられます。
蘇の製造は平安時代を通して盛んにおこなわれ、南北朝時代の戦乱のあおりで終焉を迎えました。その後、本格的なチーズ製造が始まるのはずっと先の19世紀になってからです。
日本は稲作を中心とする農耕民族なので、牛のミルクをとりいれる文化は存在しないと考えられがちですが、平安時代のほんの数百年のみ、こうして蘇というチーズを食べていたことがあるのはおもしろい事実です。ちなみに、醍醐味という言葉がありますが、この語源はこの蘇を熟成させた「醍醐」だと言われています。(詳しくはチーズコラム④参照)
■Lesson4-5 まとめ■
- 東洋におけるチーズは、モンゴルやチベットにて存在した。それらの東洋のチーズに共通しているのは、レンネットではなく、酸や加熱による凝固のみである点である。
- 日本にも「蘇」というチーズが存在しており、インドから大陸を渡り、朝鮮半島を経由してもたらされたと考えられている。
- 蘇の製造は平安時代を通して盛んにおこなわれたが、南北朝時代の戦乱で終焉を迎え、その後本格的なチーズ製造は19世紀以降のこととなる。