FAO(国際連合食糧農業機関)のデータベースを見てみると、2011年のチーズ生産国ベスト5は以下のようになっています。
1位 アメリカ合衆国(5,161,863トン)
2位 ドイツ(2,041,600トン)
3位 フランス(1,931,388トン)
4位 イタリア(1,245,175トン)
5位 オランダ(749,679トン)
上位2つに米国とドイツがあることに意外に思われる方もいるでしょう。一般的にチーズ生産国というとフランスやイタリア、あるいはイギリスやオランダというイメージが強く、現に米国やドイツにはカマンベールやパルメザン、チェダーやゴーダのような著名な原産チーズがほとんどありません。
実はこの2つの国はオリジナルのチーズこそあまりありませんが、他国の伝統的なチーズの製法を多く取り入れ、自国流にアレンジし、19世紀以降に工場での大量生産によってチーズ生産国の上位に躍り出た「近代的チーズ産業大国」なのです。
ピューリタン・チーズ革命
アメリカは移民によって作られた国です。故郷で酪農業を営んでいた移民が、アメリカ大陸にやってきて、元のチーズ作りのノウハウをそのまま継続する。出来たチーズに同じ名前を付ける。そうしてフランスからの移民はアメリカでカマンベールやブリーを作り、イタリアからの移民はパルメザンやモッツァレッラを作り、オランダからの移民はゴーダやエダムを作る。そうしてアメリカには世界中の著名なチーズの銘柄が集まることになりました。
アメリカ移民の歴史の始まりは17世紀。イギリスで迫害され、新天地を求めて移住してきたピューリタンたちが中心でした。彼らが降り立ち、最初に開拓を始めた合衆国誕生の地とも言える場所が現在のマサチューセッツ州のあたりです。
1620年頃からはじまったピューリタンたちの移住は1630年代にはピークに達し、わずか10年の間に移住してきたピューリタンの数は二十万人以上にものぼりました。その中にはイーストアングリア地方の酪農業者が多く、もともと乳牛のいなかったアメリカ大陸に、イギリスから大量の乳牛を連れてきて繁殖させ、そこに後からやってきた酪農家たちが増えた乳牛たちを譲り受け、さらに南や西へと農地を広げていきます。
こうして1850年にはニューヨーク州が最大のチーズ生産地となり、これに加えてオハイオ州、コネチカット州、バーモント州、マサチューセッツ州でチーズ5大生産地と言われるようになります。そのほとんどの源流がイーストアングリア地方出身の酪農家たちです。
イギリスのチーズ事情でも述べた通り、故郷イギリスのイーストアングリア地方がチーズの生産競争に破れ、同じ頃アメリカ大陸では同根の子孫たちが同じチーズ生産で爆発的な繁栄を極めていたことは歴史のいたずらにも思えますね。
チーズ製造の工場化
広大なアメリカ大陸の開拓が進むにつれて、食料の生産は北部が中心になり、南部は主に綿花栽培が中心になっていきました。また、経済の中心は東海岸の都市部に集中し、農業の発展は西の内陸部へと進んでゆきます。食料の生産とそれを消費する地域の距離は広がる一方となり、工業化による大量生産のニーズが急務となりました。これはイギリスのチーズの生産地がロンドンから遠い北部に移行することで、工業化が促進された背景と似ています。
アメリカ最初のチーズ工場は1851年ニューヨーク州に、酪農業者ウイリアム氏によって設立されました。ウイリアムは近隣の複数の農場からミルクを集めて生産ラインに乗せ、初回ロットで45トンのチーズを生産することに成功しました。当時のアメリカでは40頭以上の乳牛を飼う大規模な酪農場が急増していましたが、この45トンという数字は実にそういった大規模農場が作るチーズの約5倍にあたります。
この成功をきっかけに、アメリカでは続けて同じようなチーズ工場が各地に次々と誕生し、1874年には年間45,000トンのチーズが生産されたと記録されています。そのほとんどはチェダー系のチーズであり、イギリスにも盛んに逆輸入されました。
20世紀に入る頃には大量生産の工程に乗せられない種類のチーズは生き残れないほどになっており、こうして小規模の農家による手作りのチーズはほぼ死滅した状態になりました。
現在米国最大のチーズ生産地はウィスコンシン州。ウィスコンシン州のフットボールチーム、グリーン・ベイ・パッカーズのファンは「チーズ頭(cheesehead)」と呼ばれ、チーズの形をした帽子が有名です。やはり穴の空いたスイス風チーズはチーズの定番アイコンですね。
アルチザンチーズの復活
広大な土地と大規模な大量生産でアメリカは世界最大の酪農国として君臨しておりますが、1970年代からアルチザンチーズ復活への動きがはじまっています。中には大企業を経営していた業者が、規模を縮小し、数人の職人たちと小さな工房を作ってアルチザンチーズの製造をはじめたケースもあります。
1983年にはコーネル大学フランク・コシコウスキー教授の指導の下、チーズ職人やチーズ愛好者たちが集まって、アメリカチーズ協会(American Cheese Society)が設立されました。伝統的なヨーロッパの製法を守り、消滅していたレシピは復活させ、職人の手による美味しいチーズの発展と、その価値の普及を旨として活動しています。
協会の目下の課題のひとつにミルクの問題があります。Lesson2-2でも言及した通り、アメリカの法律では60日以上熟成させるチーズしか無殺菌の生乳を使用できません。これに対して、アメリカチーズ協会は無殺菌の生乳を使用する安全性を盛んに訴えています。
アルチザンチーズ from アメリカ
ビーチャーズ・フラッグシップ・リザーブ(Beecher’s Flagship Reserve)
ワシントンのアルチザンチーズ。伝統的なチェダーの製法で作られていますが、塩味はぐっとマイルドに押えられ、味は芳香なナッツの風味とクリーミーな食感が楽しめます。熟成中は布に包んで表皮を保護されます。
■Lesson7-5 まとめ■
- アメリカは他国の伝統的なチーズの製法を多く取り入れ、自国流にアレンジし、19世紀以降に工場での大量生産によってチーズ生産国の上位に躍り出た近代的チーズ産業大国である。
- アメリカのチーズは移民と共に発展した。故郷で酪農業を営んでいた移民が、アメリカ大陸で元のチーズ作りのノウハウをそのまま継続し、出来たチーズに同じ名前を付けることで、アメリカには世界中の著名なチーズの銘柄が集まることになる。
- アメリカ大陸の開拓と共に食料の生産と消費する地域の距離は広がる一方となり、工業化による大量生産のニーズが急務となる。これはイギリスのチーズ工業化の流れと似ている。
- 1851年ニューヨーク州に、酪農業者ウイリアム氏によって設立、成功をきっかけに次々と同じような工場が誕生し、1874年には年間45,000トンのチーズが生産される。チェダー系のチーズが中心で、イギリスにも盛んに逆輸入された。
- 現在米国最大のチーズ生産地はウィスコンシン州である。
- アメリカにも1970年代からアルチザンチーズ復活への動きがあり、1983年にはアメリカチーズ協会(American Cheese Society)が設立された。伝統的なヨーロッパの製法を守り、消滅していたレシピは復活させ、職人の手による美味しいチーズの発展と、その価値の普及につとめている。
- アメリカの法律では60日以上熟成させるチーズしか無殺菌の生乳を使用できないためアメリカチーズ協会は無殺菌の生乳を使用する安全性を盛んに訴えている。